なぜ脱サラをしたのか~ Vtuberデビューに至るまで ~
ほい!どうもYoutube活動してるあんのんです。
今日は題名の通りの話題です。
まずは、4月
— あんのん💤睡眠第一バーチャルプレイヤー💤 (@noname_vtuber) January 23, 2019
理由ときっかけとタイミングが合ったのでなると決めて2週間後にこんな姿でデビューしました!
何故、こんな姿なのか…
それは2017年末からのビッグウェーブに乗り遅れたくなかったから!なのです!
デビュー当時はTwitter名は「名称不明」でした
何故かってデビューを先決したからです pic.twitter.com/JAA1I5bvkH
Twitterではこんな感じで振り返ってますが前日譚でも語っていきましょう。
当時何があったのか…
当時、IT系の会社(2社目)に勤めていたあんのんです。
入社3年目か4年目の2017年の4月、精神的に限界に達していた時期に肺炎で入院、気管支拡張症と診断され、入院生活一ヶ月で生活リズムと体力を失いました。
そこから入退院をもう一度繰り返し、会社の意向で在宅での作業に移行しました。
仕事も比較的簡単なものを回してくれるし、社員を大切にしてくれる本当にいい会社だったんだ…
ただ、その簡単な仕事も頭が回らず出来なくなり(簡単だということは経験でわかっているが出来なかった…)、そのストレスから逃れるように朝昼晩全て眠気に襲われ、期待に応えられない自分に嫌気が差していました。休職を申し出ました。
本当に人や会社には恵まれているんだ…ただ、心身が弱かったんだ…
そんな中の心の安定剤が当時爆発的に増えだそうとしていたVtuberの方たちでした。
毎日動画を出していた、アイちゃん、シロちゃん、アカリちゃんの動画をみて心を癒やしていました。
そんな中のあんのんの人生の最大の転機が…
ごめんなさい、この記事を書くためにスケジュールにメモしたことを見直しながら当時を思い出していたら気持ち悪くなってきた…
その転機というのは…
誰でも、人生の中でいつか経験するであろう母親の死でした。
元々、母は腎臓を患っていて人工透析を毎日している身ではありました。
ただ、その死はあまりに突然でした。
死の前日、母は普通に惣菜のアルバイトをしていて具合が悪いと早退し38度の熱を出していました。
翌日、母は自分では動けないという事で、父に連れられ救急車で病院へ行きました。
母を病院へ連れて行った父は一ヶ月くらい入院になるでしょうと病院の先生より説明を受けて帰ってきました。(あんのん達、家族にとって入院とは結構頻繁なものなのでそんなに慌てることもなく、普段通りの生活にもどりました。)
その3時間後、容態は急変し・・・そのまま帰らぬ人となりました。
母親の死を目の前に、ツゥーっと涙を流しながら、明日から母親の家事炊事を毎日、自分たちがするんだなぁと場違いな事をぼんやりと考えている自分がいました。
そしてわぁわぁと取り乱す、親族たちをみて冷静にならなきゃと冷めている自分がいるのでした。
おっと閑話休題…話を戻しましょう。
母の死後
当時のスケジュールの画像があったので載せておきます。黒く塗りつぶしているのは病院名が入ってたので…
とまぁ、数ヶ月間これまで以上に一日のほとんどを眠ったり、眠れなかったりして過ごしていました。とにかく体調がめちゃくちゃでした。
12月デビューの輝夜月ちゃんやシロちゃんに元気を貰いながら、ひとまずストレスフリーになるように毎日を自由に過ごしていました。
きっかけはあのグループでした
そんなVtuberにどんどんのめり込んでいったあんのんが出会った衝撃の存在がにじさんじというグループでした。
今まで見てきた四人のVtuberは動画を中心に活動をしてました。
しかし、にじさんじというグループは動画中心ではなく配信を中心に活動を行っており、コメントをすると画面の中の人にリアルタイムで反応をもらえる。そんな活動でした。
その中でも異質だったのが、月ノ美兎という存在でした。
初めて見たのはまとめ動画でした。
今までの四人はどちらかというと最初からキャラと中の人が一致していた存在でした。
ん~例えるならプロが演じていたキャラクターらしさという感じでした。
この月ノ美兎のまとめ動画では、中の人ががキャラを超えて出てくる。
例えるなら素人がキャラの設定を頑張って守っている中、時々出てくる素とのギャップが面白かったのを覚えています。
今まで見てきたVtuberの概念が壊されて新しい概念が自分の中に構築された瞬間でした。素人でもVtuberやっていいんだっていう感覚が生まれたのです。
この月ノ美兎を皮切りにドンドン、ドンドン今度はにじさんじの沼に浸かっていくのでした。
当時にじさんじの中でも自分を救ってくれた存在が、樋口楓という存在でした。
軽快な関西弁トークやリスナーとのやり取り、そして豪快な笑い声、メンバーとの距離が縮まっていくプロセスなど全てにおいて熱中をさせてくれました。
そしてようやくタイトル回収
- 自分にとって会社という存在がストレスになると気づいた事。
- ちょうど会社を休職中であった事。
- 樋口楓と同じ次元になりたい!!!と思った事
そして、あんのんは会社を3月末で辞める連絡をしました。
会社を退社した翌日4月1日よりから準備を始め、2018年4月14日にデビューすることなりましたとさ。(会社に在職中は罪悪感があり本格的準備には乗り出せなかったのです。)
はい!というわけで、ここまで読んでいただきありがとうございました。
Vtuberデビューに至るまでに直近こんな感じの事を経験していました。
当時何を考え、どう思い、どう動いたのか思い出しながら書いています。
もしコメントで知りたいことなどあれば答えられる範囲で答えていきますのでよろしくおねがいします。
持病の難病やうつ病のこともバーチャル記録と並行して早い段階で記事にしますのでどうかよろしくおねがいします。